【お盆とは】
夏の風物詩でもあるお盆は、仏教の行事としてもよく 知られています。
このお盆という慣習の歴史は古く、日本 では数千年前から行われていたようです。
日本人は古代より亡くなった人の魂はやがて御先祖とい うカミになり、一年のうち夏と冬には家に帰ってきて、生 きている子孫に長寿や福徳をもたらしてくれると信じ、ご先祖のタマ(霊・魂)を迎え祀ってきました。
人々はこの 時期になると祭りを行い、やってくる御先祖様(カミ)を 祝福しました。
やがて、この夏と冬の祭りが『お盆』と『正 月』になりました。
そして、今から1500年ほど前に仏教が日本に伝わる と、私の家の御先祖様をほとけ様と呼び、夏の祭りを仏教 の儀礼で行うようになり、江戸時代には今のお盆の形がで きあがりました。
現在行われているお盆は、仏教の救済思想と神道的なタマ祭りの信仰が重なり合うことによって、日本独自の行事 となりました。
【お盆の意味】
お盆は盂蘭盆(うらぼん)といい、古代インドのサンス クリット語「ウランバナ」の音写語で、「逆さまにつるさ れている」という意味です。
三悪道(さんあくどう)(地獄・餓鬼・畜生)におちた者 は逆さづりの苦しみを受けているので、祭儀を設けて三宝 (さんぼう)(仏・法・僧)に供養することを指します。
後に仏教が中国に伝わると儒教の影響を受けて祖霊祭 (先祖を祭る祭儀)と同化し、日本でも、
お盆 = ご先祖さまをおまつりする行事となりました。
【施餓鬼(せがき)とは】
施餓鬼の起源には二説あります。
一つは『仏説盂蘭盆経 (ぶっせつうらぼんきょう)』です。
お釈迦さまの弟子の目連 (もくれん)尊者(そんじゃ)は神通力で亡母を探したところ、 餓鬼道におちて苦しんでおりました。
驚いた目連尊者がお釈迦さまにおすがりすると、「夏安居(げあんご)(四月十 五日~七月十五日の雨期の三ヶ月間集中的に修行する)のあける、七月十五日に多くの修行僧に食事を捧げて供養すれば、すばらしい功徳があり亡母も救われる」と説かれました。
もう一つは『仏説救抜焰口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐば つえんくがきだらにきょう)』です。
お釈迦さまの弟子の阿難 尊者(あなんそんじゃ)が焰口という餓鬼に「お前は三日後 に死んで餓鬼道に堕ちる」といわれました。
恐れおののいた阿難尊者がお釈迦さまにおすがりすると、お釈迦さまは 陀羅尼を説かれました。
阿難尊者はお釈迦さまの説かれた 陀羅尼を唱えて、食物を大勢の餓鬼や修行僧に施し、無数 の餓鬼が救われました。
真言宗では後者(阿難尊者)の説をとります。
お盆に檀 家さんのお宅へ伺い唱えるお経はこの陀羅尼にもとづいています。
元々は盂蘭盆会と施餓鬼会は別々に行われていましたが、死者を供養する点が共通したものと考えられ、時代とともにいつしかお盆の時期に行われるようにもなりました。
【お盆の時期】
お盆は地方色豊かな民俗行事です。
7月15日の新暦 盆、8月15日の月遅れの盆、旧暦の盆、その他(8月1 日など)、同じ地域でも時期が異なるお盆が入り乱れて行われています。
もともとお盆は、旧暦(太陰太陽暦)の7月に行われていました。
ところが明治5年に太陽暦(グレゴリア暦)に改暦されると、現在のような時期が異なるお盆が行われるようになりました。
当時の日本は農業国であり、特に養蚕が盛んでした。
この養蚕が閑(ひま)になる時期をえらんで現在のような、場所により時期が異なるお盆が定着したようです。
いきなりカレンダーが変更されたので、当時の人にとっては大変な戸惑いがあったことと思われます。
今でも東京の一部地域では8月1・2・3日、埼玉県の 一部地域では7月下旬にお盆が行われています。
これも養蚕の繁忙期を避けたことが理由のようです。
8月は盆月(ぼんづき)ともいい、一日(ついたち)を盆供(ぼ んく)やボンコなどと呼び、お盆の始まりを告げます。
「地獄の釜のふたが開く」というお話しがあります。
中国では旧暦7月1日を開鬼門(かいきもん)といって地獄の門が開き、7月30日を関鬼門(かんきもん)といって地獄の門が閉まるといい、この一月の間は孤魂(ここん)、幽鬼(ゆうき)がさまようとされていました。
地獄というのは「あの世」つまり、ご先祖さまのいらっしゃる浄土を表しています。
さあ、ご先祖さまを迎える準備を始めなさい、ということです。
【ご先祖様と施餓鬼】
お盆になると「盆棚(ぼんだな)」を設けます。
このことを地方では「棚吊(たなつり)」や「棚を吊る」といいます。
一般に精霊棚(しょうりょうだな)と呼んでいますが、 昔はご先祖さまを迎えるための「盆棚(ぼんだな)」と施餓鬼のための「施餓鬼棚(せがきだな)」が別々にありました。
それが両者混交して「精霊棚」になり、いつのまにか「施餓鬼」の方が忘れられてしまったようです。
今でも農村の古い家では、精霊棚の下に餓鬼のためとは知らずにお膳等が用意されています。
施餓鬼は、ご先祖さまが餓鬼道に堕ちているから行うのではありません。
真言宗の法式に則り葬儀を行えば餓鬼道に堕ちることはありません。
ではなぜ、施餓鬼を行うのでしょうか。
施餓鬼は「ご先祖さまへの廻向(えこう)として、功徳(くどく)を積むために 行う」のです。
本来、施餓鬼は季節に関係なく毎日行う行事です。
真言宗では修行中には必ず施餓鬼を行い、修行の成満(じょ うまん)を祈願します。
また「原因不明の病気の祈祷(きと う)には施餓鬼を行え」と古来より伝えられております。
このことからも施餓鬼の勝れた功徳がよく表れています。
【精霊棚(しょうりょうだな)・盆棚(ぼんだな)】
お盆になると、盆棚(ぼんだな)とか精霊棚(しょうりょうだな)と呼ぶ祭壇を設けて精霊を祀ります。また地域によっては過去一年以内の使者(新精霊)を迎え、その他の先祖を祀る祭壇は、家の中の仏壇をもってあてるというところもあります。
現在は仏壇の前に小机を置いてお供えすることが多くなりましたが、かつては仏壇の前あるいは床の間に精霊棚を設けました(家の外に施餓鬼棚を別に作ったこともありました)。
農村では雨戸を外して棚板として使っていました が、今では見ることもできなくなりました。
特に新盆の時には、隣近所の人が総出で棚吊(たなつ)り を手伝ったものですが、平成の時代になるとそのような習慣も少なくなり、現在では葬儀社の新盆棚が用いられるようになりました。
精霊棚は、台を作り、その上にスノコ(竹や葦や真菰 (まこも)で編んだむしろを敷きます。
四方に青竹を立 て、青竹の上の部分には真菰で編んだ縄を張り巡らします。
竹と縄は結界(けっかい)を表すといいます。
縄にはソーメン、昆布、ヒョウタン、ホオズキや畑で取 れた野菜などを吊したりします。
台の上には位牌(いはい)を置き、その前に霊供膳(りょうくぜん)、季節の食べ物を供えます。
お盆ならではの供え物にはナスやキュウリを細かく刻んで水鉢に入れ、これに洗米を混ぜた「水の実(みずのみ)」 「水の子(みずのこ)」があります。
このとき、蓮や芋の葉 に水を入れ器として用いることもあります。
蓮の葉に水を数滴たらした閼伽水(あかすい)も用意します。
ナスで牛を、キュウリで馬を形どり供えることもよく見られます。
これは、ご先祖さまを馬で早く迎えに行き、牛 でゆっくり送るなどといわれます。
地方によっては「牛で ゆっくり迎え、馬で急いで送る」とまったく逆になってい るところもあります。
みそはぎは数本を半紙等に纏(まと)めて紙縒(こよ)り で縛り、水を入れた皿や小鉢に添えます。
精霊棚の横、玄関などには盆提灯(ぼんちょうちん)を飾ります。
新盆の時は親類などが白提灯(しろちょうちん)を贈るものとされています。
また、地方の風習として、新盆の時だけ供える切り子 (きりこ)という灯籠(とうろう)があります。
故人の戒名を切り抜いた垂れが付いており、故人の子供たちがお金を出し合って一対を供えます。
【盆花(ぼんばな)】
古くより、お盆の季節になると仏様に供えるため野山から草花を摘んでくる盆花迎えという習慣がありました。
盆花は家の仏壇に祀っている仏様のためのお供え物であると 同時に、訪れてくる先祖の霊を迎えるための道しるべや標識でもありました。
お正月には家の戸口に正月の神である歳神(としがみ) 様を迎えるための依代(よりしろ)である門松(かどまつ)を飾りますが、お盆には盆花が訪れてくる先祖の霊が安らうための依代でもあります。
【お盆の風習】
裸足参(はだしまい)りあるいは朝参(あさまい)りと呼ばれる、地方独特の風習があります。
※千葉県・茨城県など
普段、供養を忘れられている餓鬼や無縁さまに施しをするため、14日の明け方にお墓へ行き、水の子などのお供え物を置いてきます。
その時、餓鬼や無縁さまを驚かさないよう、下駄などの履き物を脱ぎ、物音を立てないようにするのです。
布施のこころがよく表れた、お盆らしい風習です。
【お盆のお供え物(仏様のお食事の一例)】
*献立は地方により異なります 13日(夜) 団子(六ヶ)または、おはぎ・羊羹 (甘いもの)と新香 14日(朝) 根芋のみそ汁と新香 (昼) 冷や麦 (夜) おむすびと天ぷら (天竺の施餓鬼へのお弁当) 15日(朝) 無縁様(留守番)へのお供え (昼) 菜めしとなすのしぎ焼き (夜) 団子(六ヶ)